大久保金物株式会社
〒850-0057 長崎県長崎市大黒町9-22-105大久保ビル1F
TEL 095-821-3018 FAX 095-821-3019
MAIL okubo-k@tnb.bbiq.jp
営業時間 AM8:00~PM8:00 定休 日曜日
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当店は長崎市内において建設業者様向けプロツール、現場消耗品、建築金物等の納品および現場配達から
一般のお客様へのDIY用品小売販売、鍵の製作・修理まで幅広く承っております老舗の金物屋さんでございます。
特にオレンジブック掲載のプロツールから日曜大工用品、厨房機器関連まで幅広い業種の方々のご要望にお答えしております。
ゼネコン等の現場監督様の皆様からは、タイトな工期に迫られる中、私どものような小回りの利いた受注・配達・提案が
非常に助かる、といったありがたいお言葉を日頃よく頂戴いたします。私どもが、現場で激務に追われる監督様、設備業者様、職人様の手足となってお役に立てれば、と日々考え業務に励んでおります。
同じように、広く一般のお客様方にも私どもの長年の経験から、ただ売るだけではない商品知識、提案、使い方などきめ細やかな対応を心がけております。坂の多い長崎の中心地、斜面にお住まいの特にお年寄りの方々は、例えば郊外のホームセンターに買い物に行くにも一苦労でございます。私どもがそのようなお客様にとっての、「暮らしの便利屋」としての街の金物屋さんであるとお考えいただければ幸いです。
当店は長崎の駅前中心地において明治15年(1882年)に創業し、おかげさまで長きに渡りご愛顧をいただいている老舗でございます。
この老舗の信頼こそが私どもの宝であり、その信頼に答えるべく皆様に愛される街の金物屋さんでありたいと考えております。
当店の歴史の証人 100年超えていまだ現役ナショナルキャッシュレジスターの紹介
当店の中央に堂々と鎮座いたしますはアメリカのナショナルキャッシュレジスターNational Cash Register(NCR)社製のモデル542
通称500号キャッシュレジスターです。製造は1911年(明治44年)オハイオ州のデイトン工場生まれです。
このレジスターは、中国と人や物の往来の盛んであった大正時代に、当時の上海航路によって上海から長崎に個人輸入で入ってきたものです。それを、今は亡き私どもの先代の店主が、お客様の大工さんから借金の形も含めて買い取ったのが昭和の初めの頃だと聞いております。
当時の上海は長崎との関係が深く、長崎からは東京に行くよりも近いため(船で一昼夜)大工などの職人も上海まで仕事に赴いていたようです。先代はこのレジスターを当時150円程で買い取ったのだそうです。その頃の150円といえば家が一軒建つほどの価値だったといいます。その時代の当社と、そして長崎という貿易都市のかつての繁栄が伺える気がします。
このレジスターはアメリカ仕様のため、表記がドル・セントとなっており、先代はそれをそのまま円・銭に置き換えて使っていたようです。
後に、日中戦争から太平洋戦争にかけて、物資不足を補うため国内では軍部より金属供出の命が下されることになります。
疎開先である郊外の道ノ尾地区へ牛車で運んだというこのレジスターは辛くも供出の運命を逃れ、倉庫の奥に隠されて眠ることになります。結果それにより1945年の長崎原爆投下の被害も受けずに済んだのです。
かような運命のレジスターを、先代の亡くなった後の昭和30年代前半に現社長である店主が倉庫から運び出し、また店の顔として復活させたのでした。
生産から今年で102年。当社においてもすでに80年以上過ぎた現在でも、変わらず「チ~ン」というベル音を響かせ元気に働いております。さすがに今はもうレシートが出ないのと、相変わらずのドル表記を円に置き換えての使用ですが、合計、部門別集計、客数カウントなどすべて正常に機能しており、電卓と領収証の併用で特に不自由なく使えております。
100年もの前のレジスターがいまだに現役ということで、初めてご覧になるお客様は皆様一様に大変驚かれます。
「お宝鑑定団に出さんばね~」とのお客様との会話も弾みます。
どうか皆様も、機会があれば当店の歴史を刻んだキャッシュレジスターをぜひご覧下さい。
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1880年代から生産を開始したNCR社の真鍮製レジスターは様々なモデルを経てこの500号レジスター(通称:エンパイアスタイル)で一つの頂点に達します。真鍮(レッドブラス)で出来た華美で繊細なこのビクトリア朝デザインは一説には有名な宝飾メーカーのティファニー社が手がけたと言われており、アメリカのコレクターの間では「ティファニーモデル」と呼ばれることもあります このモデルを最後に、第一次世界大戦に参入したアメリカの物資需要の増加によってNCR社から真鍮の筐体は姿を消し、オーソドックスなスチールや木製筐体のレジスターとなって行きます
このモデルのシリアルナンバーが1037651番。NCR社のシリアルナンバーはそのまま生産台数の通し番号となります。すなわちこれが1037651台目のレジであり、この年(1911)NCR社はレジスター生産累計100万台を達成しております まだ日本は明治時代。その頃すでにこのような複雑な機械を大量生産する技術力をアメリカは持っていたのです
初期のレジスターの目的の一つに、お買い上げ額を店員とお客様が同時に確認する、というものがあります。そのため正面と背面にそれぞれ同じ数字を提示する窓があります。この数字が「お会計」であり、上面のサインプレートにあるAMOUNT PURCHASEDが示す意味です。 背面にあるNATIONALの文字を見て、「ああ、これナショナル製なんだ」と思われるお客様も多いのですが、この当時、日本のナショナル(現パナソニック)はまだ存在していないのです
後ろにあるのは大正から昭和の初期まで使用していた当社の看板とその頃の商売道具、大工さんが新築の屋根裏に掲げる棟板です。こうして並べるとちょっとした博物館の趣です 飾られている後ろの道具や看板たちより、今も働くこのレジスターの方が実は年上なんですけどね
そうそう不具合に見舞われることはないのですが、数年に一度、筐体をばらして中の清掃と注油をします。じつはここ長いことベルが鳴らなかったので、ちょっと様子を確認しようと久しぶりに中を開けてみました。どうもベルを叩くハンマーが磨り減って当たりが悪かったらしく、調整により見事ベル音が復活しました 写っているのはうちの社長です
ハンドルクランクからいくつもの歯車とロッドを介して制御する完全機械式のメカニズム。実はこの頃には同じ500号モデルでも背面に付いた電気モーターで駆動する電動式タイプの物も存在します。うちの500号は機械式ゆえの長寿命ともいえるわけです。作りはすべてが骨太で頑丈。外は真鍮の塊、中身は鉄の塊なので重量は100kg近くあります。クオリティコントロールといえばとにかく頑丈にするしか無い時代、おかげさまでたいした故障もなく今現在も元気に動いておりますが、移動させるのはとても大変です。 このような機械は仕組みが見た目で理解できるので、修理に関してもコンピューターとは違い素人でもなんとかなるものです
NCRの生み出したキャッシュレジスターは、レジの機能もさることながら、その販売戦略が巧みでした。そもそもレジスターとはなんぞや?の時代。営業マンは顧客をホテルの会場に集め、レジスターが如何に効率的か、収益を上げるのに役に立つのか、利益の損失を防ぐのかをプレゼンしたといいます。この初期の営業マンの一人がのちにIBMを創立したトーマス・J・ワトソンです
NCR真鍮製レジスターには様々なモデルが存在します。店舗の規模に応じての、モデルによるひとつの大きな違いは表示桁数の違いです。表示桁数が多くなるほど横幅の広い筐体となります。また部門数別に多くのドロワー(引き出し)を持つモデルも存在します。これらの豪華なモデルは、主にデパートなどで使われていたようです。ちなみにうちの500号とほぼ同じモデルが$380。これを当時上海で使用していたであろうファーストユーザーはいったいどんな商売だったのだろうと思い巡らします
これはアメリカのコレクターによりフルレストアされた500号レジスターです。アメリカでは真鍮製レジスターのコレクター市場が形成されており、豊富なリビルト品によって新品同様にレストアすることも可能です。このようなレジスターはマニアの間で高い値段で取引されています うちの500号も、上海にあった当時はこのような輝く金色だったのです。しかし、現状の、100年の歴史が染み込んだ何ともいえない深い飴色は単に磨いて出来上がるものではありません 毎日触り、毎日乾拭きすることによって100年かけて「熟成」された色合いもまた味わい深いものです